花火と隅田川の川開き

歳時記

夏の到来を告げる川開きと花火は、季節の風物詩です。東京の隅田川の花火は有名ですが、その起源はいつ頃でしょうか。


花火の素になる火薬が日本で使用されたのは元寇の際でした。文永の役(1274年)を描いた『蒙古襲来合戦絵巻』の中に、「てつはう」と記されたものが描かれています。合戦の場所であった鷹島の海底調査で、この時の「てつはう」の構造は筒状になっていて打上げ花火と類似していることがわかりました。


徳川家康は、花火を江戸時代初期に観たといわれています。『駿府政治録』の慶長18年8月3日(1613年9月17日)の条に拠れば、明国の商人がイギリス人を案内して駿府に家康を訪ね、6日夜に明人が二の丸で花火を立て、家康が供覧したと記されています。3代将軍徳川家光も花火好きだったといわれ、諸大名も珍しい見世物を好んだようです。特に隅田川沿いに下屋敷があった大名は、納涼の催しの一つとして花火を楽しみました。

花火は納涼の舟遊びとセットになり多くの人々に楽しまれました。寛文元(1661)年に両国橋が建設され、橋のたもとに広小路が設けられました。この場所には、夏には多くの夕涼み客が集まりました。禁令によって隅田川以外での花火が禁じられたため、花火を売る花火舟が屋形船などの間を漕いで回り繁盛しました。この頃の花火は、手持ちのおもちゃ花火のようなものだったようです。

享保17(1732)年、享保の大飢饉が発生し、多くの死者が出ました。8代将軍徳川吉宗は、犠牲者の慰霊と悪疫退散を願って翌18年 に隅田川で「水神祭」を行います。その際、両国あたりの茶屋が慰霊のための川施餓鬼せがきを行い、余興として花火を上げました。隅田川ではこれ以降、川開きの初日に花火を打ち上げるのが恒例となりました。

川開きは旧暦の5月28日で、この日から納涼期間が8月26日まで続きます。その間、川べりには食べ物屋、見世物小屋等ができ、夜半までにぎわいました。その様子は錦絵等にも描かれています。

隅田川の花火はおもちゃ花火のような花火から打上げ花火へ、そして現在のような仕掛け花火になりましたが、形や規模が変化しても人々の夏の楽しみとして今も続いています。

参考文献

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