鉄砲洲
鉄砲洲の名は砂洲が細長く鉄砲の形をしていたこと、あるいは大砲の試射をしたことに由来すると言われる。湊稲荷(現鉄砲洲稲荷神社)には富士山を模した富士塚が築かれ、当時はここから富士を望むことができたという。鉄砲洲の港には各地からの廻船が入港したことから、船乗人の海上守護の神として信仰を集めた。明治になってから100メートルほど南西に移転した。
錦絵・絵画等
江戸自慢三十六興 鉄砲洲いなり富士詣
名所江戸百景 鉄炮洲稲荷橋湊神社
その他の資料
- 鉄砲洲・湊稲荷社(本文) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 佃島 其二 湊稲荷社(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)