奥書でわかること・わからないこと
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第2章 第3節
奥書でわかること・わからないこと
絵巻の末尾などに、作者や所蔵者等によって、「奥書」や「識語」と呼ばれる文章が書かれていることがある。作者名や作成年代、所蔵者、模本であれば模写者の名前や模写の経緯といった多様なことが書かれている。来歴等を知るには重要な情報だが、誤った著者名や年代が書かれていたり、作者の直筆の奥書のように見えて後世の追記だったりと、その情報を用いるのには検討が必要な場合もある。
会期を分けて展示する3点の「結城合戦絵巻」のうち、下図①には「伊勢貞丈」*の奥書(「同僚河田氏の所蔵本を書写した」との内容)と花押があり、②③はその奥書ごと模写しさらに追記がある。①の奥書が伊勢貞丈の直筆に見えるが、絵を比べると、②③には描かれている絵が①にはないことから、①が伊勢貞丈の直筆で②③はそれを模写した(ものをさらに模写した)とは必ずしも言い切れない。奥書だけでは判断できない例である。
*伊勢貞丈は江戸時代中期の有職故実(公家や武家の先例)の研究家。
①
②
③
結城合戦絵巻
室町時代に東国で起きた結城合戦を描いた絵巻。永享10(1438)年、鎌倉公方の足利持氏は、不和であった室町幕府の将軍足利義教に反乱を起こしたが敗れた(永享の乱)。持氏の次男春王、三男安王は乳母とともに下野国に逃れ、結城氏朝に匿われた。幕府に攻められた結城は、美しい兄弟を女装させて逃そうとしたが、兄弟は発見され捕らえられる。抵抗むなしく結城は自害し、城は炎上した。
原本は室町時代の作と思われるが作者は不詳。当館には3点所蔵があり、いずれも伊勢貞丈の奥書を持つ模本を写したものと考えられる。比較すると3点とも色が異なっており、模写を繰り返すうちに、彩色が剥げたり、彩色されていない模本が挟まったりしたことで、彩色が異なる模本になったと考えられる。
47 結城合戦絵巻 鈴木虎吉 写 天保6(1835)年 ※原本は室町時代の成立【亥二-41】
東京1期(10/1~12)
関西(11/15~29)
48 結城合戰繪巻 倉橋藤原正勝 写 嘉永3(1850)年 ※原本は室町時代の成立【す-15】
東京2期(10/15-26)
49 結城合戰繪巻 書写年不明 ※原本は室町時代の成立【亥-112】
東京3期(10/28~11/9)
前九年・後三年絵巻
前九年の役は、平安時代末期に陸奥で起こった安倍氏の反乱を、源頼義・義家親子が清原氏の力を借りて鎮圧した戦役。後三年の役は、そのおよそ20年後、奥州を治めていた清原氏の内紛に乗じ、源義家が兵を率いて制圧した戦役。
展示資料は全巻の題箋に「前九年後三年絵巻物」とある7巻ものだが、第1巻の「前九年」と他6巻の「後三年」は筆跡が異なっており、同一人物が模写したものではないようである。元は別の絵巻であったと考えられる。
第7巻(後三年)の末尾には、同系統の東京国立博物館所蔵本にある奥書と江戸時代の修理由来書の模写、伊勢貞丈と書かれた安永3(1774)年の奥書と朱書きによる追記、平貞丈と書かれた安永5年の追記、と多くの情報が書かれている。
50 前九年後三年絵巻物 [江戸時代]写【る二-14】
東京1期(10/1~12)
東京2期(10/15-26)
東京3期(10/28~11/9)
関西(11/15~29)
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