本郷
地名の由来は、湯島の中心地の意で湯島本郷からと推定される。寺社、武家屋敷が多く、広大な加賀藩邸は明治に入ると東京大学の校地となり、御守殿門(ごしゅでんもん)(赤門)が遺構として残る。これは将軍家の姫君の嫁ぎ先に許されたもので、文政10(1827)年11代将軍家斉の娘・溶姫(ようひめ)が前田家に嫁いだ際に建造されたものである。中山道の街道筋にあたり、早くから町場化が進み、肴屋、竹・丸太屋が多かった。享保年間(1716-36)に医師・兼康祐悦が本郷三丁目に薬種・小間物屋を開いて大いに繁盛し、古川柳に「本郷も兼康までは江戸の内」とある。
錦絵・絵画等
〔(狂句合)本郷〕
本郷通り
写真
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