![錦絵と写真でめぐる日本の名所](/file/gallery/landmarks/titlej.webp)
駿河台
元は神田台と言ったが、元和年間(1615-24)以降駿河国から徳川家臣団が移り住み、駿河台と称されるようになった。台上からは富士山がよく見えたため、一説にはこれが地名の由来ともいわれる。一帯は土取り場で、台地を削った土は日本橋、新橋の埋め立てに用いられた。また、本郷台との間に神田川が開削された。明治以後、旗本屋敷の跡地に明治大学、日本大学、中央大学が設立され、学生街となった。
錦絵・絵画等
名所江戸百景 水道橋駿河台
東都名所するがだひ
その他の資料
- 駿河台(本文) 『江戸名所図会 7巻』(1834)