不忍池
現在の上野公園の西南部にある池。かつて東京湾の入江であったが、平安時代ごろ入江が後退した際に取り残されて池となったとされる。寛永寺創建の際、寺の山号を比叡山にならって東叡山としたことにちなみ、この池を琵琶湖に見立てて、竹生島(ちくぶじま)になぞらえた中島を築造し弁天堂を創設した。名前は、忍岡(しのぶがおか)に由来するという説や、篠が生い茂って輪のようであった(篠輪津)という説など、諸説ある。特に夏季は美しい眺めで、文人たちにより小西湖(しょうせいこ)と唱えられた。蓮の名所で、茶屋では蓮飯を食べさせた。
錦絵・絵画等
池の端
〔江戸高名会亭尽〕 〔池之端〕
名所江戸百景 上野山内月のまつ
東都名所 上野山王山 清水観音堂花見 不忍之池全図 中島弁財天社
江戸不忍弁天ヨリ東叡山ヲ見ル図
江戸八景 不忍池の落鳫
〔江都名所〕
東都名所 不忍之池
東都花暦 不忍蓮
江戸名勝図会 不忍弁天
江戸十二景 不忍暮雪/高輪秋月/隅田川夜雨/洲崎日ノ出
不忍池
東都名所 不忍池
江戸自慢三十六興 不忍池蓮花
江戸八景 忍岡の暮雪
新撰江戸名所 不忍池新土堤春之景
落雁 (不忍ノ池)
その他の資料
- 不忍池(本文) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 忍ばずの池 中島弁財天社(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 不忍池蓮見(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)