谷中
江戸時代には上野台地の北部と両側の低地部を指した。地名の由来は上野と駒込の間にある谷の意。江戸開府後、寺院が多数創建され門前町が形成された。感応寺(現天王寺)境内では毎年1、5、9月の11日に富くじ興業が行われた。五重塔で知られ、明治になって露伴の小説の題材にもされたが、昭和32(1957)年に焼失した。寺が多かったため「谷中は墓と富くじ」と言われ、明治に入って谷中霊園が整備された。名産として葉生姜が名高く、谷中生姜として贈答用に用いられた。
錦絵・絵画等
江戸名勝図会 天王寺
東都谷中撫子
写真
東京景色写真版
その他の資料
- 谷中感応寺(長耀山感応寺)(本文・挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 谷中感応寺其一 『江戸名所図会 7巻』(1834)