寛永寺
天台宗の寺。寛永2(1625)年開創。創建年号にちなみ寛永寺と号された。山号は東叡山(東の比叡山の意味)、院号は円頓院(えんどんいん)。日光山に東照宮を営んでいた僧天海(てんかい)が、幕府より江戸忍岡の地を与えられ、寺院を建立し武蔵国川越の東叡山喜多院から東叡山の名を移した。その後、徳川家康を祭神とする東照宮、京都清水寺の観音堂を模した清水観音堂などが建立され、幕府の保護のもとに隆盛を極めた。一帯は物見遊山の場としても栄え、桜の名所でもあった。これは、桜を好んだ天海が吉野より桜を移植したことに始まる。慶應4(1868)年、彰義隊と官軍との戦場となり、伽藍の大部分が灰燼に帰した。現在、この一帯は上野公園となっている。
錦絵・絵画等
上野
江戸名所発句合之内 上野
東都花暦 上野清水之桜
名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池
江戸名所 上野東叡山境内
東都名所 上野東叡山全図
東都名所 上野東叡山ノ図
江戸名所上野仁王門之図
上野の桜かり
江戸八景 上野の晩鐘
上野晩鐘
上野満花の詠
浮絵 東叡山中堂之図
江戸自慢三十六興 東叡山花さかり
東都上野花見之図・清水堂
東都東叡山の図
東都八勝 上野晩鐘
東都名所 上野清水堂
晩鐘 (上野清水堂)
その他の資料
- 東叡山寛永寺(本文) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 東叡山寛永寺[其一](挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 東叡山寛永寺其二(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 東叡山寛永寺其三(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 東叡山寛永寺其四(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 東叡山寛永寺其五(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 清水堂花見図(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)