品川
品川沖では魚介類が豊富に獲れ、「江戸前」の呼び名もここから生まれた。将軍家に獲れたものを献上する「御菜肴八ヶ浦(おさいさかなはちがうら)」の一つとして、漁業が盛んに行われたが、黒船来航以後御台場が築かれると、軍艦等の往来により大規模な漁具が使用できなくなり、全国的に有名であった海苔採取業が一層盛んとなった。また遠浅の海で、昼過ぎには沖合まで干潟になることから、春や夏は早朝に舟で沖まで行き、干潮を待って蛎や蛤、平目や海藻を採る人々で賑わった。6月7日には、当時目黒川の南にあった荏原神社と川を挟んで北にあった品川明神社の両社の神輿が橋で行きあった後、また南北に分かれる品川天王祭が開催され、潮干狩りとともに江戸の年中行事の一つとなっていた。
錦絵・絵画等
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照
東海道風景図会 2編 [1]
日本風景選集 2
東海道五十三次 [1]
日本風景選集 2
改正五十三驛
川瀬巴水版画集 2
江戸名所
品川
品川
江戸自慢三十六興 品川海苔
写真
旅の家つと 第12 東京附近の巻
旅の家つと 第12 東京附近の巻
仁山智水帖
東京風景
日本写真帖
日本写真帖
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照
その他の資料
- 品川汐干(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)