高輪牛町
東海道を南に下り、古川に架かる金杉橋、芝田町を経て、高輪の大木戸と品川宿との間に位置する町。寛永11(1634)年の増上寺安国殿建立、13(1636)年の市ヶ谷見附石垣普請の際、当時江戸にはなかった重量運搬機である牛車が大量に必要となり、幕府が京都四条車町の牛屋木村清兵衛を中心とする牛持人足を呼び寄せて材木や石類の運搬に当たらせた。工事終了後、褒美として、この町での定住を認め、牛車を使っての荷物運搬の独占権も与えたため、「車町」(通称牛町)とよばれるようになった。『江戸名所記』によれば、牛の数は多い時で、およそ千頭に及んだという。西側は車置場や牛小屋が並んでいたが、東側は海で眺望にすぐれ、月見の名所として、7月26日の二十六夜待(にじゅうろくやまち)、8月15日の仲秋の名月には大勢の人が集まり、賑わいを見せた。
錦絵・絵画等
名所江戸百景 高輪うしまち
高輪海岸
東海道 高縄牛ご屋