泉岳寺
橋場の総泉寺、芝愛宕下の青松寺(せいしょうじ)と並び「曹洞宗江戸三ヶ寺」と称される。慶長17(1612)年、徳川家康の命により創建。開創者は門庵宗関(もんなんそうかん)。寛永18(1641)年の大火で焼失したため、現在の地に替地を与えられ、外桜田から移転した。なお、開創地や移転の年は異説があるが、『寛永江戸図』左上部によれば、「ためいけ」の南に「せんかくし」とある。山門周辺には9棟の学寮が置かれ、100~200人の学僧が修学していたが、赤穂藩主浅野家の菩提寺となり、元禄15(1702)年の赤穂浪士討入事件の後は、藩主浅野長矩(ながのり)及び四十七士の墓があることで有名となった。
錦絵・絵画等
泉岳寺開帳詣
東都高輪泉岳寺開帳参里の図
その他の資料
- 万松山泉岳寺(本文) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 泉岳寺(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)