増上寺
浄土宗大本山。徳川将軍家の菩提寺で、上野の寛永寺と同様6人の将軍が葬られている。空海の法弟である宗叡(しゅうえい)が武州豊島郡江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町付近)に建立した真言宗光明寺(こうみょうじ)を前身とし、明徳4(1393)年聖聡(しょうそう)が、浄土宗に改宗、名も増上寺と改めた。慶長3(1598)年の江戸城改修・拡張工事にあたり、芝に移転。開墾等により敷地が拡張され、明治初年には、約82万5千㎡となり、常に3千人の学僧等が居留していた。敷地内には本殿、安国殿、五重塔、徳川霊廟等、周辺には、寺の北西にある青松寺(せいしょうじ)から寺の裏門にかけて馬場があり、また北側及び東側は、外堀から流れる溝渠「桜川」が南下し、寺の南を流れる古川に注いでいたが、大正期に暗渠化された。
錦絵・絵画等
東都名所 芝神明増上寺全図
〔東都名所〕 〔芝〕増上寺
増上寺朝霧
江戸自慢三十六興 増上寺大鐘
東海道名所之内 芝増上寺
東都名所 芝増上寺山内図
写真
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その他の資料
- 三縁山増上寺(本文) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 三縁山増上寺(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- [三縁山増上寺] 其二(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- [三縁山増上寺] 其三(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- [三縁山増上寺] 其四(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 増上寺山内芙蓉洲弁天社(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)