赤羽根
赤羽川(古川の地域称)に架かる赤羽橋と中之橋の間、増上寺の南西の地名。地名の由来は、昔からこの周辺の土地は赤土が多かったため、赤埴(あかはに)が転訛した、などの説もある。明暦年間(1655-1658)からは、久留米藩有馬家上屋敷が全域を占めた。邸内には江戸で一番高い火の見櫓のほか、筑後川の水神を祭神とする水天宮があり、毎月5日の縁日に一般の参詣が許された。水中の失せもの探しや安産にご利益があると言われ、「そうでありまの水天宮」という地口(江戸の言語遊戯の一つ)が流行するほどの人気ぶりであったが、明治4(1871)年有馬邸の移転に伴い青山へ、翌年には日本橋に移転した。なお、赤羽川の北河岸では、毎朝一寸河岸(ちょろがし)とよばれる魚市がたった。
錦絵・絵画等
江戸名勝図会 赤羽根
江戸自慢三十六興 赤はね火之見
〔東都名所〕 〔芝赤羽橋之図〕
名所江戸百景 増上寺塔赤羽根
東都名所 芝赤羽根増上寺
その他の資料
- 赤羽(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 赤羽川・赤羽橋(本文) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 赤羽 心光院(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)