金魚の伝来とブーム
歳時記
子どもの頃にお祭りや縁日で金魚すくいをした人も多いかもしれません。水槽の中を優雅に泳ぐ金魚は、江戸時代の夏の風物詩でした。
金魚は中国から伝来した魚です。3~4世紀頃に揚子江のほとりで1尾の赤い鮒が見つかり、その後宮廷や寺院で飼育・改良等が重ねられ、尾が分かれて華やかな姿になりました。その姿を見て、人々は金運をもたらす魚として「金魚」と名付けたのが、金魚の名の始まりと言われています。日本には室町時代の文亀2(1502)年に大坂・堺に入ってきたと言う人もあると『金魚養玩草』に書かれています。
輸入された当時は、金魚は高価で一部の裕福な商人や貴族の間が飼っていました。日本では金魚のことを、最初は「こがねうお」あるいは「きんぎょ」と呼んでいたようです。しかし次第に「きんぎょ」に定着しました。『訓蒙図彙』には「金魚」として紹介されています。
江戸時代になっても、初期の頃は豪商や大名・貴族等の観賞用でしたが、中期頃には金魚の養殖がおこなわれるようになり価格も安くなりました。寛延元(1748)年には金魚の手引書『金魚養玩草』が発行され、徐々に庶民にも金魚が普及するようになります。金魚ブームは文化文政時代(1804~1830年)にピークを迎えました。この頃には金魚を行商する金魚売りや、金魚すくいも始まっていたようで、夏が近づいたことを知らせる江戸の町の風物詩でした。画像では、金魚売りの様子と、店先に小さな丸いガラスの器の金魚玉を吊るして涼を取る人が描かれています。
錦絵の世界でも、夏の風物詩として金魚が描かれたものが出回るようになります。江戸時代には大きなガラスの水槽はなかったため、陶器の鉢で金魚を飼いました。そのため、金魚は横からではなく、真上から眺める「上見」が普通でした。
幕末から明治になると、金魚は一般家庭や学校の水槽や池等でも飼われるようになりました。花柳界では金魚の華やかな色や泳ぎ方は「粋」の象徴とされ、出入りの客に喜ばれたそうです。
参考文献
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歳時記