新吉原
浅草北部にあった遊郭。当初、日本橋葺屋町(ふきやちょう)の東側に開設したが、明暦2(1656)年に移転を命じられ、翌年の明暦の大火の後、浅草千束村へ移った。以前を元吉原、以後を新吉原と呼ぶ。最盛期には3,000人の遊女を抱えていた。日本堤から衣紋坂を通り、堤から遊郭が見えないように曲がった五十間道を経て、大門をくぐって入る。日本堤から衣紋坂へと曲がる東角に柳があり、客が振りかえって名残を惜しむ位置にあるために「見返り柳」と呼ばれる。周囲には「御歯黒溝(おはぐろどぶ)」と呼ぶ堀をめぐらし、出入り口は大門一か所として、遊女の脱走を防いだ。中央の大通り「仲之町」には、春には桜を、秋には紅葉を移植するなど、人工的な楽園を演出した。
錦絵・絵画等
名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣
名所江戸百景 廓中東雲
東都名所 新吉原
古代江戸繪集
〔江戸高名会亭尽〕 新吉原衣紋坂日本堤
〔東〕都名所〔新〕吉原〔五〕丁町〔弥〕生花〔盛〕全図
江戸自慢三十六興 新よし原仲の町の桜
古代江戸繪集
新吉原雪の朝
東都名所 吉原年礼ノ図
吉原仲之町
その他の資料
- 新吉原遊女町(本文) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 新吉原町(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)
- 新吉原中之町八朔図(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)