猿若町
江戸時代末期の芝居町。江戸時代初期以来、堺町(中村座)・葺屋町(市村座)・木挽町(森田座)にあった官許の歌舞伎、操人形の興業小屋が、天保の改革によって天保12(1841)年にこの地へ強制移転を命じられた。町名は、江戸歌舞伎の創始者とされる猿若(中村)勘三郎の名にちなむ。芝居茶屋が並び、座元・役者ら芝居関係者がこの地に定住し、一大歓楽街を形成した。明治の初年まで繁栄したが、その後芝居小屋の移転が相次ぎ、芝居町は失われた。
錦絵・絵画等
猿わか町
江戸自慢三十六興 猿若街顔見せ
名所江戸百景 猿わか町よるの景
[芝居町繁昌之図]
東都繁栄の図
東都繁栄の図
東都繁栄の図