目黒の富士
江戸時代に成立した民衆宗教の一つに、富士山信仰の講社「富士講」がある。道徳的行動を実践することで富貴な身分への生まれ変わりを約束し、加持祈祷による病気平癒や吉凶を占う「焚き上げ」が霊験あらたかだとされ、多くの信者を集めた。修行のため、行者として富士山に集団登拝したが、登山できない人のために、富士山を模して富士塚を築いた。目黒元富士や新富士は、その中の一つで、前者は文化9(1812)年伊右衛門という富士講の先達が願主となり、後者は、文政2(1819)年北方探検家、書物奉行、書誌学者である近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)がこの地にあった別邸に築いたものである。6月1日の山開きはどちらも大変な賑わいで、江戸名所の一つとなった。
錦絵・絵画等
名所江戸百景 目黒新富士
名所江戸百景 目黒元不二